生まれつき体が弱く、いつも「どうすれば元気になれるのだろう?」と悩んできた一人の女性がいます。
未熟児で生まれ、幼少期は病院に通う日々。大人になってからは三次救急というハードな現場で看護師として働き続けました。しかしその裏では、心も体もギリギリの状態……。
そんな彼女が大きく変わるきっかけになったのが、ある雑誌の裏表紙に書かれていた「人は食べたものでできている」という言葉でした。そこから栄養の学びを深める中で、自分自身だけでなく、家族の人生までも驚くほど好転していきます。
「小6に戻ったみたいに、心も体も軽くなった」
「自分の内側に答えがあったんだと気づきました」
現在は、不安症・パニック障害専門のカウンセリング事業を営むnico株式会社で栄養コーチング部門のマネージャーとして、世界中から相談に訪れる方々を支え続けています。幼少期の虚弱体質、激務の看護師時代、11年間の食事療法迷走期……。そのすべてが今の仕事に生きていると語ってくださいました。
栄養で人生が変わるって、本当にあるんだ。
彼女のお話を聞いていると、そんな希望が自然と湧いてきます。
この記事では、思わず引き込まれるような彼女のストーリーと、栄養が心と体に与える力について、じっくり伺いました。ぜひ、続きを楽しみにお読みください。
臨床分子栄養医学研究会 指導認定カウンセラー / nico株式会社エグゼクティブコーチ。

生来の虚弱体質で幼少期に心疾患の手術を経験し、過酷な家庭環境の中で育つ。看護師として23年間、三次救急を含む高度医療の現場で働く中、自身の慢性疲労や不調に悩み、長年の食事療法迷走を経て分子栄養学と出会う。栄養療法の実践で心身ともに劇的な回復を遂げ、看護師を辞めて栄養カウンセラーとして独立。これまでのカウンセリング実績は2000件以上。国内最大級のパニック改善コミュニティで改善率94%を記録し、現在はパニック障害に特化した栄養アプローチ(NBD)の開発やコーチ育成に尽力している。
幼少期から続いた“弱さ”との向き合い

ーーー現在の活動内容を簡単に教えていただけますか?
神楽先生:私は不安パニック専門のカウンセリング会社nico株式会社の栄養カウンセラーとして7年間、メンタル不調に悩む方々にカウンセリングを行ってきました。
現在は栄養コーチング部門のマネージャーとして働いていて、主な仕事内容はコーチたちのマネジメントと、クライアント様向けのグループコンサルや講座を担当しています。
ーーー幼少期に虚弱体質でいらしたと伺いましたが、その経験は現在の活動にどのような影響を与えていますか?
神楽先生:私は帝王切開で未熟児の仮死状態で生まれました。
その後先天性の心疾患であることが判明して開心術を受けたりと、幼稚園も休みがちな子供でした。初潮を迎えた後はより不調が強くなりましたので、体を鍛えたりしてなんとかしようとしましたが、虚弱体質は大人になっても根本的には変わっていなかったと思います。
看護師になって元気な他の同僚と同じように働き続けたいと思い、分子栄養学に辿り着きました。生まれつきの弱さが私と分子栄養学を結びつけたんですね。
元気になった今でも当時の心と体の辛さを覚えていますから、今でも世界中からカウンセリングを受けにきて下さる方に寄り添うことができるのだと思います。
看護師として23年間、三次救急の最前線で
ーーー看護師として23年間、特に三次救急というハードな現場で働かれていたそうですが、どんな日々でしたか?
神楽先生:とにかく毎日をこなすことに必死だった記憶です。家はぐちゃぐちゃ、3食コンビニか外食でした。楽しいことをしていても疲れてしまう状態でしたね。
今思うと、生まれつきの虚弱体質なのに、わざわざ高度医療の現場で働くことを選んでいたのは、ずっと体が思うように動かないことで低下した自己肯定感を上げようとしていたのだと思いますね。その結果慢性疲労になり、やがて分子栄養学を学ぶことになります。
ーーー栄養カウンセラーとして働く中で「看護師としての経験が活きている」と感じる場面はありますか?
神楽先生:めちゃくちゃあります!
分子栄養学のカウンセラーになって、看護師を経験していて本当によかったと思ったくらいです。私の時代の看護教育は、とにかく患者様に対して傾聴姿勢を取るように学びました。ベッドサイドで患者様の苦しい胸の内を聞かせて頂き、共感し、同じ時を過ごすということが当たり前でした。
そのため特別なトレーニングを受けなくても、クライアント様たちに安心、安全な場所を提供でき、深いお話しを聞かせてもらうことができたのだと思います。
それから「なんでも栄養で良くなる」というような、偏った考えに至らなかったこともあります。長年医療の現場で命に関わる状態の患者様を看てきましたので、「これは医療機関を受診した方が良い」という状況判断ができることですね。実際何人かのクライアント様は治療に結びついてお元気になられています。
健康増進に関わる立場で、自分自身が医療機関受診を遅らせる要因になってしまうことは、最も避けたいところです。23年間で多くの科で働いた経験がこんなところで生きていて、看護師になって本当によかったなと思っています。
食事療法迷走からの転機 ― 分子栄養学との出会い

ーーー栄養療法は独学で勉強を始めたとのことですが、学び始めるきっかけは何だったのでしょうか?
神楽先生:独学の時期は迷走の時代でしたね。
最初にお話ししたように、生まれつきの虚弱体質でしたので、なんとか現状を維持するために試行錯誤した時期があって、独学というとその時期を指すと思います。心も体も限界を迎えつつあった頃、本屋さんで手に取った雑誌の裏表紙広告に「人は食べたものでできている」という文章を見つけたのです。
これだ!と思いました。
それまでの私は人生に悩んで占い師に頼ったりと、自分の外側に答えを求めていました。でもこの言葉を目にして、今まで大きな勘違いをしていたことに気がついたのです。
「自分の内側に解決策があるのだ」と、気がついたんですね。
その雑誌はある玄米菜食の団体のものだったので、私の食事療法はそこから入りました。ベジタリアン、糖質制限と渡り歩き、その期間は合計11年です。そこが私の独学の時期です。
このような偏りのある食事法は短期的に実践することでのメリットはあるのですが、長期的に継続するとデメリットも出てきます。何事もとことんまでやってしまう性格から、それぞれのデメリットも全て体験しました。
やがて私は「誰か(個人)が提唱している狭い範囲の食事法ではなく、もっと普遍的で広い範囲の栄養学を学びたい」と思うようになりました。
そこで見つけたのが分子栄養学で、専門家から学ぶことを決めました。専門家からしっかり学ぶことで理解が深まりました。独学ですとどうしても自分の都合の良い情報をインプットする傾向があるのですが、そのような偏りも回避できます。
今でも最新の知識をインプットするために学びを継続しています。
ーーー栄養療法を学び始めて、ご自身の体調に何か変化はありましたか?
神楽先生:ものすごくありました!
分子栄養学に出会ったのは30代後半でした。学びを実践し初めてある日こう思ったことを覚えています。
「小6に戻ったような感覚だ」
これ、大袈裟ではなく本当にそう感じたことがあったんです。
私の数少ない体調が良い記憶の中で、最もコンディションがよかったのが、体が大きくなってきて体力がついてきて、なおかつ初潮前の限られた期間、まさに小学校6年生くらいの頃なんですよね。
心も体も軽くなるのが栄養療法なんです!自己肯定感も後から必ずついてきますよ。
私は三次救急の看護師であることがアイデンティティーで、それを失うことは考えられなかったのですが、心身が整ってくると「あれ?これになんの価値があったんだ?」と我に返ったようになってあっさり看護師をやめて栄養カウンセラーに転職しています。
栄養療法は人生を変えますね。
ーーー栄養療法は、ご主人の体調にも良い影響があったと伺いました。実際にどのようなことをされたのでしょうか?
神楽先生:仕事だけでなく私の人生を苦しいものにしていたことの一つに、夫のアルコール依存症がありました。
仕事も続けることができない、仕事をしたらしたで、すぐに人間関係などに悩みお酒の量がさらに増える、休みの日は前の晩からずっと酒浸りで会話もままならず、全く心の支えにならない相手でした。このような背景からも「私が一生働き続けなければならない」という状況でしたので、私はなんとか元気になろうと試行錯誤していたんですね。
私が信じる食事法が変わる度、夫の食事も変わりました。夫はその点では全くこだわりがないので助かりましたね。
それまでのどの食事療法でも彼は変わることはありませんでしたし、返って悪化したものもありました。
分子栄養学で学んだことを夫にも実践したことで、彼は別人のようになって行きました。「こんなに頼りになる人だったのか」と初めて見るような場面をたくさんみましたね。
今ではアルコール依存症を寛解させ、企業の管理職として北・東日本を統括しています。私の食事療法迷走期に夫のメンタルや体調を悪化させたとわかった時に、夫に謝罪しました。
夫は「お互い様だよ」と笑っていました。口から入れるものが人生を変えますね。「これが自分だ」と思っているものは偽物の可能性があると思います!
ーーー「栄養でこんなに変わるのか」と実感した印象的な出来事があれば教えてください。
やはり低血糖状態が人体に与える影響を理解した時の衝撃は大きかったですね。
神楽先生:急にぐったりしてしまう、楽しかったのにテンションが下がってくる、イライラするなんてことから、頭痛や首、肩の凝り、眠りの質の低下、仕事上でのミス、人間関係の苦しさ、全てに低血糖が関係しているんです。
低血糖状態を予防することでそれらの状況に陥りにくくなるので、自己肯定感も上がって行くんですよ。分子栄養学の学びの中でこれほど多くの人の人生を変えたものはないですね。
ーーーカウンセリングで特に印象に残っている患者さんとのエピソードがあれば教えてください。
神楽先生:40代の女性の方で、「自分はポンコツ」「家事が苦痛でしかたない」「〇〇ちゃんママは仕事も育児もバリバリやっているのに自分はダメだ」「子供の頃から元気だった記憶がない」などと涙ながらにお話しくださった方が1ヶ月後に、「この世に生まれて、今が一番元気です!」と弾けんばかりの笑顔で教えて下さったことですね。
後にその方は「たったこれだけのことだったのか!」という驚きと、自分が劣っていたのではなく、人体の活動に必要な栄養が得られていなかっただけだったのだという理解から、栄養カウンセラーになりました。
栄養カウンセラーとして独立、改善率94%の実績

ーーー2019年に独立されたとのことですが、どういった思いから独立を決意されたのですか?
神楽先生:まず、栄養で体が癒されていくと、「決意」というような重めの思考はなくなって行きますね。
栄養カウンセラーとしてのキャリアのスタートは分子栄養医学のクリニックでした。そこでは検査データから生化学的根拠に基づいて医師の指示のもと、栄養指導とサプリメンテーションを行う仕事でした。
とても勉強になり、本当に良い経験だったと思っています。
でもちょうどこの頃に「もう何者でもなくていい」というアイデンティティーの崩壊と再生が起こりまして、「家でのんびり仕事したいな〜」「〇〇で働いていますとかもういらないな〜」のいう内なる欲求が抑えきれなくなり、独立しました。
世の中はまだZOOM何それ?という時代にZOOMのみの栄養カウンセリングでした。クライアント様がZOOMを使えるようになるところからのスタートなので、なかなか大変でしたが楽しかったですね。今はZOOMを当たり前に使える人が多くて楽ですね〜。
ーーー栄養カウンセリングを行ううえで、一番大切にしていることは何ですか?(神楽さん流のこだわりがあれば教えてください。)
神楽先生:クライアント様がどのような状態で来ても、「このお姿はこの方の素晴らしい人生のほんの一時の状態でしかない」と認識して接することです。
泣いていたり、座って話すこともできない状態の方が来ますが、私はその方本来のお姿を生き生きと頭に描いてお話ししています。
泣きながら横になってようやくお話しして下さっていた方がいました。私はその方が、遊具の合間を笑顔でお子さんと走っている姿を思いながらお話ししていました。
数ヶ月後、本当にそれが実現したという報告を受けました。クライアント様はカウンセラーの前提通りになりますので、ここが何より一番大事かなと思っています。
ーーー神楽先生にとって「栄養カウンセリング」とはどんなものだと思いますか?
神楽先生:私たちの体は食べたものでできています。
体が整えば心も整います。心が整えば世界の見え方が変わり、選択肢が変わります。選択肢が変われば人生が変わります!
でも実は、食べ方を変えるにも気力と体力が必要です。
食べ方を変えるための準備から伴走者を得られるのが、栄養カウンセリングです。私は独学で失敗して来たので、専門家に相談して近道を進むことをお勧めします!
ーーー栄養療法やメンタル不調に関する知見を深めることは、栄養学を専門としないカウンセラーにとってもプラスになると思いますか?
神楽先生:はい!絶対にプラスになります。
まず対人援助をする側(カウンセラー、セラピスト、コーチなど)が心身ともに安定していることでパフォーマンスが向上しますから、クライアント利益も向上しますよね。
体調不良があるがメンタル不調が一切ないということはほぼない(その逆も)と思います。栄養状態がどのように心身に影響を与えるのかを理解していると、セッションでのクライアント様のモチベーションの維持にも良い影響を与えることが可能です。
低血糖の状態で心理に切り込むことは、時にクライアントを余計に不安定にすることがあります。nico株式会社では、心理部門と栄養部門があり、先に栄養で体を整えてから心理に移行することをお勧めしています。
ーーー最後に、これから栄養を学んでいきたい人・同じ道を目指す方へ、メッセージをお願いします。
神楽先生:分子栄養学を学ぶことで、まずは自分が元気になりますから、何かお悩みがある方はぜひカウンセリングを受けてみてくださいとお伝えしたいですね。
あなたが変化すると、次にその姿をみた家族や身近な人が興味を持って取り組み、変化していくということもよく起こります。
私たち夫婦は分子栄養学で人生が大きく変化しました。
そしてカウンセラーとなった今、過去の苦しかったこと、失敗も全てが引き出しとなって、仕事の役に立っています。今になって思うと、全てがこのための準備期間だったのかと思うほどです。
私は長い間、誰も頼れず孤独な人生で、出口のないトンネルの中にいるような感覚で生きて来ました。分子栄養学を学び実践することで世界の見え方が変わり、人生が180度変わったと言っても言い過ぎではないと思っています。
もし一人で悩んでいる人がいたら、あなたを救う鍵はあなたの内側にあります!体に必要な栄養を補給することです!


